世紀末の墓

世紀末の墓

IT系寄りの雑記

情報をいんたーねっとに上げるときに思うこと

Twitterでおたくが技術書を書こうみたいな話があり、そこで思い出した僕がいつもネットに情報を上げるときに思うことを書いていく。

そもそも自分の上がいるのでは

それはそう

これはあたりまえで、公式ドキュメントが最強!みたいな部分があるので、ネットに転がってる情報なんてほとんどがその下位互換であることが多い。

そういう状態で自分が情報をブログなり技術書なりにする意味や価値ってあるんか??と考えてしまいがち。ここで同じような情報がたくさん出ることによって、今の悪しきGoogle検索が出来上がってしまっているんじゃないのか?もっと深い情報が欲しい人の邪魔にならないか?とか考える。

ただ自分が出す情報が丁度いいレベル感の人もいるかもしれないというお気持ちもあり、大変難しい。

自明になる

自分ができなかったことをできるようになると、急に自明になってしまうことが往々にしてある。むしろなぜ自分はできなかったのかわからなくなる。

僕は自転車が乗れなかった時の気持ちは覚えていないし、自転車のコツとか聞かれても「いい感じにスピード出して全力で漕いでみる」くらいのアドバイスしかできない。

ただ、僕が今自転車を絶賛練習中だったらどうだろう。何か学ぶ度、感じる度にアウトプットしていけば、最終的にはいい感じの出力になるような気がする。「スピードだすと遠心力的なのが働いてよさげ」「補助輪なかったら生きていけない」「おめぇ絶対その手を離すなよ」とか、それを感じたときじゃないとかけないようなものも多そう。

「自分もわからなかったからわからない人の気持ちがわかる」とか言ってる人はマジですげぇと思う。僕はやるまではわからないけど、やれるようになっちまったらそんな気持ち消し飛ぶから。そういう人は随時メモとか取ってわからなかったことを覚えていたり、コンプレックスになっていたりするんだろうなぁ。

対策

恥を捨てて、学びながら出力する。

これに尽きる気がする。その出力みればそのころの気持ちが蘇るかもしれないし。


追記

この対策にたどり着いた過程の詳細は既に忘れてしまっているので、つまりはそういうこと。もうなにもわからない。